気まぐれ日記 04年8月

04年7月はここ

8月1日(日)「1日中血圧測定・・・の風さん」
 睡眠時間はまずまずなので、8時に目覚めて、すぐ起きようとしたが、やはり「めまい」がする。それで、ゆるゆると体を起こしていった。今週、血圧の検査を受けるので、今日は1日かけて血圧の変動を測定してみよう。もしかすると、降圧剤の効き目が短時間しかないことが判明するかもしれない。
 朝食前に測定したら、最低血圧が90を超えていた。朝の「めまい」は少なくとも低血圧ということはない。やはり、私は高血圧だ。朝食後に降圧剤を飲んで、1時間ほどして測定してみたが、あまり下がらない。その後、1時間ごとに測定してみると、血圧はゆっくりと下がって行った。しかし、最低血圧が80を切ることはなかった。
 夕方、トレーニングに出かけた。最近はトレーニングも過激な運動を控えている。トレーニング後の測定値は、血圧が113−72で、一見正常に見えるが、やはりこのトレーニングルームの測定器具は低めの数値を出すようだ(今度、手首式のを持参して比較してみよう)。昨日からあまり食べていない気がしていたわりに、肥満度は−1.1%で、体脂肪率は18.4%、BMIは21.8だった。今日は、男性トレーナーから「トレーニングで汗をかくと抵抗値が高くなるので、体脂肪率は高めに出ます。だから、トレーニング前の方が値は低いし、実態に近い数値になりますよ」と教えられた。今度から、そうするか。
 帰宅してからも、1時間おきに血圧を測定し続けた。今朝の降圧剤の効き目が切れて、どんどん上昇するということはなかった。むしろ就寝近くなって低下してきたほどだ。こうしてみると、起床時は高く、降圧剤のせいかだんだん低下し、午後からまた上昇、夜になって低下、といった傾向が見られた。こういった周期が毎日見られるのかは、もう少し観察してみないと分からない。
 しかし、毎日、こんなことばかりやっていられるわけがない。
 今日も、執筆はほとんどできず。

8月2日(月)「血圧変動の研究は続く・・・の風さん」
 午前有休にして、車検に出したミッシェルを受け取りに行った。
 エンジン不調を訴えていたので、少しチェックしてくれたようだが、特に大きな異常は発見されず。結局、私が提案したプラグとバッテリーを交換することになっただけ。これでは解決にはならない。私自身がどうも最近パワーが出ないので、ミッシェルもオーナーに付き合っているだけなのかもしれない。
 コンビニでおにぎりを買って昼食にしてから出社した。
 会社の1日は短いが、半日となるとあっという間だ。仕事が山のように残っているからとぐずぐずしていたら、夜の帳が下りてしまうので、さっさと思い切って退社した。
 帰宅して、今日、3回目の血圧測定をしたら、異常に高い値を示した。ガッカリした。夕食後、サンルームで読書し、100ページ読んだところで眠くなり、しばらくうたた寝した。目覚めて、コーヒーでも飲もうと、ダイニングへ行き、ついでに血圧測定したら、最低血圧が80を切った。うたた寝効果かもしれない。

8月4日(水)「睡魔と血圧と秋の訪れ・・・の風さん」
 昨日は速攻で帰宅したのだが、夕食後、読書している間に猛烈な睡魔に襲われて・・・(沈没)。
 3日前からせっせと記録していた血圧測定結果を持って、医者の定期検査を受けに行って来た。
 「自宅で1時間おきに測定してみたのですが、とても高くて・・・このまま卒中で逝ってしまうのではないかと・・・」
 「全然、問題ありませんね」
 「???」
 「十分、薬でコントロールされていますよ」
 「最低血圧がしょっちゅう90を超えているのですが・・・」
 「この手の血圧計は上は正確ですが、下が高めに出るのです。手首といった抹消に近い血管で測定すると、反射波を拾うのでそうなるのです」
 「でも、子供たちはちゃんとまともな値を示しますが」
 「子供の血管は柔かいですからね」
 「でも・・・」
 「ま、10は引いてみた方がいいですよ。なんなら、今度、お宅の血圧計を持ってらっしゃい。比較してあげましょう」
 今日も速攻で帰宅しようと、焦りに焦って仕事を片付け、外へ出ると、頬に当たる風がやけに涼しい。おまけに7時前だというのに、もう空がすっかりたそがれている! ぼやぼやしているうちに、季節は秋に突入していたのだ。
 帰宅し、夕食をセーブして、読みかけの楠木誠一郎さんの『実朝を殺した男』(実業之日本社)を一気に読み終えた。かつて『金槐和歌集』を学び、鎌倉の地に憧れ、とっても興味のある作品だった。終盤には、今取り組んでいる作品と同時代の人物、島津重豪(しげひで)の名前まで出てきて、親しみを感じた。かなりレベルの高い歴史ミステリになっており、歴史にうるさい推理小説好きの人はぜひ読んでほしい。

8月5日(木)「走れ、ミッシェル・・・の風さん」
 夏だ夏だと騒いでいるうちに、いつの間にか秋が忍び寄ってきていた、というのが昨日の記述。そう言えば、今年はずいぶん早くゴキが出没したとも騒いでいた。それが、その後、バッタリと見なくなった。あまりの暑さで・・・なんてことはない。やはり何か異常なのかもしれない。ゴキが出ないのはうれしいことで、もうひとつ、あまり出なくなってうれしいことがある。ウィルスメールだ。これも最近ほとんど舞い込まなくなった。いちおうウィルス撃退ソフトは自分のパソコンすべてにインストールしてあり、常に更新しているから安心なのだが、それでも送りつけられるとうっとうしい。ゴキとウィルスメールが出ないうちに執筆が進めば最高なのだが、そうは問屋が卸さない。
 日本文藝家協会の会誌に、『落ちてきた時間』の著者、たからしげるさんが入会したという記事が載っていたので、昨夜お祝いメールを送っておいたら、返信メールが来た。ますます執筆に力を入れるためだとのこと。みんな、こんなに元気なのに、どうして私だけ・・・(泣)。
 ミッシェルが今日もパワー・ダウンである。上り坂で喘ぐので、すぐ分かる。自分の体も同じなのかなあ。
 がんばれ、ミッシェル!

8月6日(金)「この夏最後か! 暑い1日・・・の風さん」
 夏期連休前の最終日である。
 ミッシェルで本社へ行き、本社の駐車場に置いてから、電車で名古屋へ出張した。某協会の講師として講演するためである。最寄の駅へまでの道のりも、名古屋駅から某協会のビルまでの道のりも、やけに暑かった。昨日の当地の最高気温は30℃を切っていて、いよいよ秋の訪れかと思っていたが、どうやら盛夏に逆戻りのようである。会社のノートパソコンを入れたバッグが非常に重かった(実は、ちょっと分厚い本も入れてあったが)。
 途中1回の休憩をはさんで3時間の講演を終えて、協会の専務と雑談に花を咲かせてから、ようやく1時半にビルを後にした。外に出た瞬間、ひるみたくなるような日差しである。その暑さの中、思い切って地下鉄の改札口へ向かった。夕方の会議までには絶対に本社に戻らねばならないのだが、それまでに済ませたい用事があった。
 地下鉄で2駅乗って、さらに10分近く歩いてたどり着いたのは、愛知県図書館である。借りてある本の延長手続きをしておきたかったのだ。重いカバンをぶらさげ、スーツを小脇に抱え、ネクタイを締めたワイシャツに汗が染み出すほどの暑さの中をひたすら歩き続けるのは、ちょっとした精神修行か鍛錬に近かった。ま、今年の甲子園は、母校の秋田高校が県大会でベスト8にも進めず終わっていたので、こうして暑い夏を経験しておくのは必要なことなのかもしれない。
 手続きを終えてとんぼ返りし、何とか3時までに本社に戻ることができた。それから、部下との打合せを経て、4時から二人の専務の前で発表する場があり、ここでみっともないことをやらかした。プロジェクトメンバーである他部署の発表に、途中でクレームをつけたのである。私としては、絶対我慢できないことだったので、紳士である両専務の前であっても、激しい口調で糾弾せざるを得なかった。
 こうした苦い仕事を終えてから、やっと最終日が終わったのだが、最後の最後まで同僚らと不満や愚痴を言い合っていた・・・が、気分はおさまらなかった。
 日が暮れて、社外へ出ると、幾分暑気がやわらいでいたが、日中の最高気温は恐らく35℃前後になったのではないか。なんとも心身にダメージの残る1日だった。
 帰路、ミッシェルを購入した中古車屋に寄り、バッテリを交換してもらったが、もとよりパワーが復活するわけではない。パワー低下の原因は、いずれ折りを見て、ドック入りさせることで、本当の家路についた。

8月7日(土)「夏祭りは防災訓練に早変わり・・・の風さん」
 今日は居住地域の夏祭りのために、自治会メンバーの一人である私は、朝から準備に出動した。既に、中央公園には老人クラブを始め、多くのボランティアメンバーがたくさん、盆踊りの中心になる櫓作りなどに出てきていた。毎年のこととは言え、ボランティアなくしてこういった行事は成立しない。ごくろうさま、と頭が下がる。
 午後になって、抽選の景品の見張りのために1時間出かけていたときに、早くも会場に子供たちがやってきた。声をかけたら、地元の子供ではなく、電車でかなりの距離に住んでいる子供らだった。初めてでなく、リピーターであり、楽しみにしていると知って驚いた。
 再び家に戻り、浴衣に着替え、兵児帯を粋に縛って下駄を履き、さっそうと家を出たのだが、普段のような大またで歩けない。ちょこまかと小刻みに歩いているうちに内股になってきてイライラした。
 本番では進行役ということで、ときどきマイクでスケジュールを進めて行った。居住地域の人たちのギターの弾き語りから始まって、ロックバンド(なかなか本格的)、和太鼓の演奏と続き、ようやく盆踊りとなった。夜店や屋台もけっこう多く、子供らがたくさん集まってきた。途中、ハーモニカ演奏の休憩タイムもはさんで、とっぷり暮れた8時半、お楽しみ抽選会となった。実は、その頃から空がときどきピカリピカリと光っていたのだが、とうとう抽選会が最高潮に盛り上がっているときに、ざーっときた。スコールか夕立といった感じの激しい雨だった。急いで、集会所へ避難したが、何度も停電になるなど、まるで防災訓練のような状況だった。それでも、パニックに陥ることもなく、その後、抽選会の最後の部分も終えて、雨が止んだ11時近くに夏祭りは閉会となった。本当の災害のときは、抽選会をやっていれば、全員のベクトルが合って、冷静な行動ができるのかもしれない。

8月8日(日)「作家に復帰する決心・・・の風さん」
 昨夜は片付けもできないまま会場を引き上げてきたので、朝から本格的な片付けに出動した。
 櫓を解体し、テントを収納し、雨にずぶぬれになったシート類を洗い、・・・何とかどんよりした空の下だったので、作業ははかどった。昼前に休憩し、その後、私の主担当である、地域内に13箇所ある掲示板の修理作業を手伝ってもらった。先日、途中までやりかけていた作業の続きである。再び外へ出ると、また真夏の日差しが復活していた。ペンキの下塗りをした板と棒を木ねじを組み立て、ペンキの本塗りをした。汗が滝のように流れ、脱水症状になりそうだった。ウーロン茶を2本一気に飲み干した。12セット作り、すぐに修理が必要な2箇所に設置してきた。これが終わったのが、午後3時半頃だった。再び集会所に入り、クーラーの効いた部屋でビールを飲みながら休憩した。
 帰宅してからシャワーを浴び、小休憩後、また出動した。今日設置した掲示板の一つのボルト固定をするためだった。日が暮れてからは、置いてきたミッシェルを取りに集会所へも出かけた。
 ようやく夕食を終え、さて、と落ち着いて考えてみると、明日から福島へ家族で帰省する予定だった。
 二日ぶりにメールチェックすると、京大の上野先生から「講演しませんか」といううれしいメールが届いていた。このメールと帰省をきっかけに、今度こそ、作家に復帰しなければならない。

8月9日(月)「覆面パトと知恵比べ・・・の風さん」
 予定通りに7時起床。でも、出発は9時少し前。我が家の旅立ちはいつものろい。これが我が家流なのだろう。
 約2時間半で300km近く走行し、富士川SAにピットインした。老化して退化している肉体・・・のはずだが、絶好調だ。不思議だ。日差しはきついが、USJキャップとグラサンできめているので平気。行け行け〜だ。
 東名は御殿場までは2車線で、飛ばすのはちょっと大変だ。それでも、右車線を無理せず突っ走って行ったら、やや低速走行の集団に追いついた。20年以上無事故無違反を続けている風さんの鋭いアンテナには、こういうとき危険信号が飛び込んでくる。前方の左走行車線に白いセダンを発見。前後にはさまっていて、ちょっと油断したら絶対に気が付かない位置だ。後ろのウィンドウ越しに見ると、バックミラーが2段に見える。まるで自動車学校の車だ。しかし、仮免許練習中といった表示は見えない。残念ながら距離があるし、間に車もいるので、ナンバープレートも判読できない(つまり88ナンバーかどうかチェックできないということ)。こういうときは、安全のため(?)いったん走行車線に退避だ。
 後続の車がどうするかと息を呑んでバックミラーを注視していると、平然と追い越して行く奴はいない。スピードを出して追いついて来た奴も、ちゃっかり左の車線に退避している。さすが、とうなってしまう。
 やがて、何も気にせず飛ばしてくる黒のセダンがあった。推定速度はおよそ120〜130km/hだ。そいつが例の怪しい白いセダンの横を通り過ぎると、はたして後ろにぴたりとついた。すると、待ってましたとばかりに、後続の車たちも次々に追い越し車線に飛び出すから笑ってしまう。当然、野次馬「風さん号」も追跡だ。
 追いつ追われつをすること約5分。しばらく走った先で、発炎筒が焚かれ、赤い警告灯を点滅させた白いセダンに捕まった黒いセダンが路側帯に停止させられていた。
 ・・・首都高速で渋滞があったが、帰省ラッシュからは外れていたらしく、ほぼ順調に走り、福島県の両親の家に日没前に到着した。今日の走行距離は650kmを超えた。

8月10日(火)「とりあえず物欲を執筆エネルギーに・・・の風さん」
 ごくまれに「お休みの時は何をしていますか」と尋ねられることがある。人間のできていない私は、内心ムッとしながら「基本的に1年365日、休みはありません。風邪とか病気で寝ているときが休日でしょうか。わっはっは」てな返事をしてしまう。
 会社にいない時は執筆を最優先に考えているけれども、なかなか本当の原稿書きはできない。実力がないことと精神力が不足しているからだ。それでも、意識の上では、常に執筆のことを考えている。いろいろなことで努力してもできないでいる人は多い。そういう人を見ていると共感してしまう。これが人生だ、という感じだ。でも、この、何とかしようと思いながら、結局できずに時間が経過していく苦しさ、本当につらい・・・。
 昨日の疲れもあったが、家族の買い物もあったので外出もした。自分の時間は当然短い。それでも、全くパソコンに向かわないわけではない。それでも、パソコンを立ち上げると、まずゲームなんぞをやってしまう(笑)。それでも、今日は、ほんの少しだけ小説の執筆らしきこともした。また、8月15日締め切りの「大衆文芸」用の原稿も完成させることができた。今年お亡くなりになった戸川幸夫先生の追悼文である。生前の戸川先生の謦咳(けいがい)に触れることができ、貴重な教えも頂戴した。そのわずかな交流を文章にすることができて満足した。
 買い物に行った先で、電気屋を覗いていたら、カッコいいパソコンやケータイが目に入った。しゃあない。とりあえず、こういった物を目指して執筆に励むことにするか(苦笑)。
 
8月11日(水)「野球の話・・・の風さん」
 昨夜、兄の家で夕食をご馳走になりながら、テレビで野球観戦した。「中日vs巨人」である。もう長年ずーっと受験生のような生活をしているので、こんなことは1年間に1度くらいだ。特にどこのチームを応援するわけではないが、貧乏中日とブルジョア巨人の戦いとなれば、判官びいきということで、中日を応援せざるを得ない(次女は、単純に地元だからと中日を応援しているけれども)。
 本当に長い年月野球も観なくなって、知らない選手が増えた。試合は、やはりオーソドックスな戦い方をする(盗塁とか送りバントね)中日が、次第に優勢になって、最後は大味な巨人を突き放した。中日の落合監督とは同年である。以前にも書いたが、彼が秋田工業高校に通っている時、私は秋田高校に通っていた。同じ市内の高校に在籍していたのだ。ロッテ時代から、彼の「オレ流」に注目していた。
 昨夜の試合で印象的だったのは、中日の某選手が背中へのデッドボールで出塁した直後にすぐ盗塁を決めたことだ。今夜の試合では、巨人がチャンスを併殺で失った場面である。中日連勝で差が広がった。
 野球と言えば、今年の甲子園、大野優凛子さんの母校であるPL学園は順当に出場したが、私の秋田高校だけでなく若桜木虔さんの静岡高校も出場できなかったので、昨年の盛り上がりはない。唯一出場したPL学園も、初戦で敗退してしまった。
 明日は再び自宅へ帰るが、野球どころではない。ようやく執筆再開したので、継続しなければ・・・。

8月12日(木)「帰省先まで体調不良がついてきた?・・・の風さん」
 早寝したのに、今朝の1時過ぎに突然目が覚めた。胸から胃のあたりに圧迫感があり苦しい。しばらく様子を見ていたが、次第に嘔吐しそうな気配までしてきたので、トイレに駆け込んだ。
 結局、1時間半トイレの住人になり、嘔吐寸前までいったものの吐くまでに至らず、何度か腹が下った。昨夜、シーフードレストランで海鮮料理をしこたま食べたので、もしかすると食中毒か、と思ったが、一緒に食事した家族は爆睡中だったのでそれは「ハズレ」。しかし、自分は違う料理を食べたので、少なくとも食あたりかと思いつつ、ベッドに戻った。
 いずれにせよ体調不良ということで(最近多いなまったく)、帰宅は断念して、1日静養することにした。しかし、家族は心配して医師の往診を頼んでくれ、午後2時過ぎに診てもらったところ、胃の活動が停止していて腸の方はまだゴロゴロ鳴っているということで、整腸剤やら下痢止めやら嘔吐止めなどを処方してくれた。どうやら食あたりというよりも、単なる食べすぎだったようだ(苦笑)。で、下痢をしたので水分としてスポーツドリンクを少々飲むことを勧められ、言われた通りにしたら、急に胃が活動を再開したらしく、ほどなく胃の圧迫感がなくなりスッキリした。その後、昨夜以来の空腹感が襲ってきてお粥も食べることができた。
 とまあ、こんな感じで1日が暮れていき、子供らは私のパソコンで遊びまくっていて何もできなかった。
 明日はゆっくりと出発する予定だ。今日が帰省のピークだったらしいが、明日も相当に下り車線が混むはずだ。
 済美高校は秋田代表を破った。優勝するかもしれない。

8月13日(金)「無事帰宅・・・の風さん」
 昨日が帰省のピークだった。それで、1日遅れの帰宅が幸いした。東北道の上り車線が空いていたのは当然だが、何と首都高速から東名まで、平日よりも空いているのではないか、と思うくらい空いていた。最初から渋滞を覚悟していたので、午前10時近くに出発したのに、4時間後にはもう足柄SAにピットインしていた。
 病み上がりの私を気遣ってワイフが何度も運転を代わってくれたので、それも非常に助かった。
 結局ほとんど渋滞に引っかかることなく帰宅することができた。
 今回は、長男を留守番にしたので、ワイフと娘二人の長距離ドライブで、実に騒々しいおしゃべり旅行であった。

8月16〜18日「連休明けのはずが3連休・・・の風さん」
 15日の勉強会は欠席した。完全に余裕を失っていた。とにかく14、15日とたまっている仕事をあれこれこなして過ごしたが、精神的には追い詰められていた。
 16日(月)は、連休明け初日であった。夏期連休は私には、あっという間だった。目覚めた時、連休前にもたびたび襲ってきた「めまい」がまたやってきた。しばらくベッドの上でじっとしていたが、出発の時間が迫ってきたので、無理して洗面所へ向かった。しかし、フラフラして足元がおぼつかない。頭を誰かにつかまれて振り回されているようだ。とうとう耐えられなくなって、ベッドに逆戻りした。ワイフがびっくりしていた。
 会社へ休むと電話した。さらに2時間近く寝ていたが、いっこうに「めまい」が去らない。ワイフの付き添いで、近くの総合病院へ行った。
 診察を受け、血液検査と頭部のCTを受けたが、特に異常はないそうだ。「めまい」を抑制する点滴をし、投薬ももらって帰宅したが、気分は最低。それでも空腹で、冷やし中華を食べて、また爆睡した。
 午後はずっと眠り続けた。我ながらよく眠れるものだと思う。今年は寝不足に注意しているので、今朝だって、決して寝不足などということはない。一体どうなってしまったのか。
 夜になって、多少気分がよくなってきたので起き出し、会社の同僚にメールで「明日も出社できないかもしれないのでよろしく」と伝えた。
 17日はいくらかよくなったが、まだ頭がフラフラしていた。もともと高い血圧が特に上昇しているわけではない。体温を測ってみても、ちっとも高くない。寝てばかりはいられないので、不調のパソコンを直したり(少し直ったが、新たな不具合も発生したので差し引きゼロかも)、読書したり、自治会や会社の仕事もした。忘れていた新鷹会の仕事をやれたのは良かった。こうして雑用が減っていくと、何となく気分が楽になるのは、やはりストレスかもしれない。
 18日は「めまい」はほとんどなかったが、頭痛がして気分が重かった。起きられず、目が覚めたのは10時半だった。それから会社へ電話して、3連休を決めた。今日も、昨日同様に過激な動きさえしなければ、やれることは多いので、雑用の山になっている積み木崩しにとりかかった。手紙を2本書いた。しばらく送れなかったメールを送った。これには随分と時間がかかった。近所の図書館から借りている音楽CDが気に入ったので、コピーを作っておいた。これは、執筆の時のバックグラウンド・ミュージックになる。夜は、やはり自治会や会社の仕事を少しして、早めにベッドに入り、読書しながら寝た。

8月19日(木)「心神リハビリ中・・・の風さん」
 6時半に目覚めたが、「めまい」や頭痛はなかった。それで、ようやく4日目にして出勤の覚悟を決めた(大袈裟な(^_^;))。ミッシェルも調子よく走り、案外早く会社に着いた。ところが、職場のあるオフィスのドアを開けて中に入った途端に、クラッと「めまい」がした。やはり、今回の「めまい」の主原因は仕事のストレスにあったようだ。
 なるべく興奮せずに1日を過ごそうと努めたが、やはりハイテンションの仕事ぶりだったような気がする。
 とにかく3時半で退社して、月曜日に行った総合病院へ行った。頭部CTの結果を専門医が見た結果を聞くためである。はたして「特に異常はなし」だった。精神的な原因だとすれば、頭部CTに出るはずがない。心霊写真なら話は別だろうが。
 日が高いうちに帰宅した。ミッシェルは朝と違ってパワーを感じなかった。オーナーと同様にコンディションに波がある。愛すべき奴だぜ、ミッシェルは。
 サンルームへ入り、ジャズピアノのCDをかけ、コーヒーを飲みながら新聞や小説を読んだ。私は雲が流れていくのを眺めるのが好きだ。ときおり顔を上げる。次第にたそがれてく空が二重サッシのガラス窓越しに見える。ぜいたくな時間の過ごし方。早く小説家に戻りたい、と強く思う。

8月20日(金)「敢えてノンビリしてみた・・・の風さん」
 会社に籠もって仕事していると、やはり精神的なストレスでダメージを受けそうだったので、午後からミッシェルで出張することにした。「自分で運転するんですか?」と気遣ってくれる同僚がいたが、「ここにいるより気が楽だから」と炎天下にもかかわらず出発した。行き先は岐阜県中津川市内にあり、勤務先から130km近くある。知多半島有料道路、名古屋高速、名神高速、中央高速と乗り継いで行くのである。体調を考慮して中央道までちんたら走っていたら、眠くなったので、最初のPAで休憩した。
 無事仕事を終えたので、帰りにたくさん用事をすることにした。今夜は家族が旅行で不在なので、留守番の私はマイペースで行動できる。先ず、愛知県図書館に寄って、借用中の本の継続処理をした。次に、自宅付近まで戻り、大規模電器店とスーパー、DIYのショップをハシゴして買い物した。ここで8時になったので、今まで一度も行ったことのないラーメン屋に入って、これも初挑戦のねぎ味噌ラーメンを食べた。元気が出るかと思ったが、やはり今日は疲れた。精神的な疲労ではなく肉体的な疲労である。そうだ。私はまだ病み上がりだったのだ(苦笑)。
 帰宅し、2匹の猫と金魚、亀にエサをやり、シャワーを浴びてから、途中でストップしていたビデオの残りを観て、フラフラしながらベッドに倒れこんだ。

8月21日(土)「リハビリは今日も続く・・・の風さん」
 約7時間寝たが、足りないようだ。多少頭がくらくらする。それでも、貴重な一日の始まりなので、起きる。
 朝食時に見た朝刊で感動した写真がある。最近はオリンピックを中心に記事と写真が充実している。その中で、女子バレーのスナップである。栗原恵選手の後姿に見惚れてしまった。黄金分割というのか、あまりの美しさ。恐らく1時間眺めていても飽きないであろう(笑)。そもそも私は長身の女性が好きである。・・・しかしなあ、186cmだから・・・(涙)。
 とにかく元気を出して、外へ出、ガレージの防犯用センサーライトを新品と交換した。以前設置したライトが球切れになったのと、センサー・スイッチの不調で極短時間しか点灯できなかったから、この際更新したのである。
 アルミの支柱に開けた穴のピッチが合わないので、隣家のご主人から電動ドリルを借用し、新たに穴を二ヶ所開けた。住宅地に住んでいるが、最近治安も悪くなってきているので、こういう準備は必須である。昼食後、自治会の残っている仕事を片付け、無線LANで構築したホームネットワークのコンピュータを、共有化しようと試みている頃に家族が帰宅した。県内のリゾート施設で遊んできた家族は楽しそうだった。・・・が、ネットワーク・コンピュータの共有化には失敗し、作業を中断した。その後、どっと疲労が出たので、夕方は寝室で仮眠した。
 「冬のソナタ」の始まるまで、とサンルームで執筆した。
 時刻になったので、リビングへ移動してビックリ! ワイフも唖然としていた。「冬のソナタ」の放送開始時刻を二人とも勘違いしたのだ。チャンネルを合わせた瞬間・・・ジ・エンド。先週が午前2時過ぎだったので、今週もイレギュラーな時刻だと勝手に判断したのが間違いの元。定刻の11時10分開始であった。しかも、私の場合、最終回であることを知らなかった。既に小説は読み終えているワイフだが、さっそく友人にケータイメールを送った。その友人はちゃんと鑑賞しただけでなく、ビデオもとってあり、明日貸してもらうことになった。やれやれ。

8月22日(日)「忘れていたぜ、夢はかなうってことを・・・の風さん」
 夜10時からワイフが借りたビデオで「冬のソナタ」(最終回)を鑑賞した。まずまずの終わり方で良かった。今回このドラマで一番勉強したことはセリフである。特に新しい知識とか振り回さなくても、本質的に心に響くセリフというのがあり、それを心がけることが小説作りでも重要だ、と認識したこと。
 ビデオ鑑賞後、アテネの女子マラソンはどうなっているのかな、とテレビのチャンネルを合わせたのが運のツキ。日本の3選手が終始トップグループにいるので、途中で消すことができなかった。そして、驚嘆したことは、まだ上りが続く苦しい25km地点を過ぎたあたりから、野口みずき選手がスパートしたことである。常識的には上りつめた32km地点まで無理はせず、下りになってから一気にスパートである。ところが、彼女のストライド走法は下りに不利とのことで、誰も仕掛けられない急な上りでペースを上げたのだった。
 最後はヌデレバ選手との距離がかなり詰められたが、そのままゴールし、金メダル!
 彼女はまだマラソンを走ったことのない4年前に、「4年後にオリンピックのマラソンで金メダルを取る!」と宣言したというからスゴイ! 私の信条でもあった「夢はかなう」を、しばらく忘れていたが、強烈に思い出した深夜だった。

8月23日(月)「毎日執筆しよう・・・の風さん」
 夕べは元気だったので、最後までテレビ応援してしまった。その報いで、今日は1日頭が重かった。
 会社で無理することは控えているので、少し手を抜きながら仕事し、早めに帰宅した。
 体調は悪いが、何とか時間を捻出して執筆を続けなければならない。しかし、すぐに執筆に専念できるわけではないので、あれこれと用事をしながら執筆につなげている。今夜は先ず書斎で、愛知県図書館から借りている本のスキャナー取り込みを終えた。続いて、サンルームへ移動し、昨日途中で断念したホームネットワーク作りの続きをした。これは無線LANを使って自宅内のパソコンのネットワークを構築することで、昨日、ようやく3台のパソコンをつなげるところまでできたのである。次にやることは、つながっているプリンターの共有化なのだが、実は失敗していた。今夜は、1台のパソコンにプリンタードライバーをインストールした。その後、執筆に着手した。少しだけでも執筆できると、やはり気持ちいい。
 しかし、寝不足だったので、11時半に就寝した。

8月24日(火)「めまい、オリンピック、チビゴキ・・・の風さん」
 
ちゃんと寝たのに、目覚めたら世界が回っていた。また「めまい」である。
 帰宅したら、家族が女子バレーをテレビ応援するという。その誘惑に負けて、先日の新聞で見惚れた栗原恵選手を応援した。試合は強豪中国に力負けしてしまった。裏切り者の風さんは、栗原選手を応援していたはずなのに、セッターの竹下選手の頑張りに感動し、そして、いつの間にか、前回のオリンピックでは年齢制限を出されてチャンスを失いながらも見事に復活した、吉原選手の洗練されたプレイに釘付けになっていた。
 日本の金メダルが15個で、史上最多の16個まであと1個となり、それは野球で確定だろうと勝手に思っていた、その野球のダイジェスト放送が続いた。先発松阪のダイナミックなピッチングを見て、これは早めに1点取らないと危ないぞ、と思っていたら、はたして零封負けしてしまった。オーストラリアは松阪の好ピッチングの前に、累に出ると必ずバントするなど、基本に忠実な戦いぶりだった。試合を見終わって、まるで中日のような試合運びをするオーストラリアが、巨人のような攻め方をする日本を破ったようなもんだな、と思った。ドリームチームは、1点を争う試合に弱いことがある。
 ああ、そんな人生勉強をしている場合じゃなかった、と反省しつつ書斎へ行ったら、足元をチビゴキが走り回っていたので、雑誌で叩きつぶした。超音波のゴキ駆除機をセットしてから1匹も姿を見ていなかったのに・・・。天罰かもしれない。

8月25日(水)「会社、めまい、仕事で爆睡・・・の風さん」
 朝から本社に出張し、そのまま夕方まで本社で仕事して帰宅した。けっこう忙しい1日だったが、精神的にはやや楽な面もあった。なぜかと言うと、日頃身を置いている戦場から離れていたから。それでも、廊下を歩いていてもフワフワしている感覚はなくならず、ああ、自分はやはり何か不調なんだなあ、と妙に実感していた。
 今年あった出会いの中で、咸臨丸子孫の会は特筆すべきグループである。咸臨丸を中心にして、家族的な集まりだというのが最も好感のもてるところである。最近、ちょっとした誘いがあり、不調の風さんは、そういった救いにもひかれて、入会することにした。幸い承認され、特別会員となれた。秋には塩飽島旅行会がある。さまざまな条件が上向いていれば参加したい。
 今日は、午前1時まで会社の仕事をサンルームでしてしまった。ベッドに倒れると、一瞬のうちに爆睡状態となった。

8月26日(木)「半病人がホールインワン?・・・の風さん」
 寝不足でまた体調不良が悪化してはいけないので、30分遅刻して出社した。いつも通りのフワフワ感のまま1日が始まったわけだが、超多忙の中、信じられないことに、夕方までに体調が戻った。普通に歩けるのである。少し早足だってできるのである!
 会社の定時後、グランドゴルフ対抗戦に出場して欲しいと幹事から頼まれた。他に出られる人がいないので、止むを得ず、おっかなびっくり参加した。
 グランドゴルフは生まれて始めてである。ゲートボールとゴルフの合いの子みたいなゲームだった。5人チームで、私がトップバッターになり、距離感やグランド上のボールの転がり状態を皆に見極めてもらうことにした。恐ろしいことに、2ホール目でホールインワンをやってしまった。ホールインワンにはボーナス点としてマイナス3点が与えられるのだそうだ。続く同僚もホールインワンをしたが、二日目でまだ二人しかホールインワンはいないらしい。結局、8ホールやってトータルスコアは24。もう一人の同僚も24で、二日間で最高点らしい。あと3日ぐらいゲームが行われるので、最終的に個人順位がどうなるか分からないが、とても「めまい」でフワフワしていた半病人とは思えない成績だった。
 気分的にもハイな感じになり、帰りに、町内会の仕事まで済ませた・・・ところが、帰宅したら、明後日の土曜日、地元の小学校の裏山の奉仕作業「草取り」に参加しなければならないことが判明した。やれやれ。

8月29日(日)「チャン・ツィイーの虜になった風さんの巻」
 木曜日の夕方、突然、体調が戻り、その後も安定した状態が続いている。金曜日も積極的に仕事をこなし、ただし土曜日はいちおう早起きはしたもののワイフの「やめておいたら」という慎重発言に従って奉仕作業は見送ったものの、日曜日の朝は町内会の別の仕事に出動した。
 まだ執筆復調とまではいかないが、懸案事項を着々とこなした。昨日の午後と今日の午後は、いずれも買い物に出かけ、前々から気になっていたものをすべて買い込んだ。
 今日の買い物は名古屋で、ワイフも用事があったため、一緒に出かけ、ついでに映画も観てきた。金城武、アンディ・ラウ、チャン・ツィイーの「LOVERS」である。昨日からロードショーがかかっていたが、幸い入った時間は立ち見になるほどではなく、気に入った席に座れた。前もってインターネットで確認しておいたのだが、ほぼ期待通りの作品だった。特にチャンが可愛かった! アクションシーンは黒澤明監督を彷彿とさせる出来栄えで見事。背景をからめた映像も実に美しかったし、EMI WADAの衣装も良かった。金城武の役名が「随風」で「風のように気ままに生きる」というのが、なんとも自分自身と重なって照れくさかった。ストーリーはややトリッキーな面があったが、まあ、問題とは言えないだろう。残念だったのは、微妙な心理描写が分かりにくかった。チャンが野山の花畑で初めて女として金城に気持ちが傾く場面は、これはもっと丁寧にと言うか分かりやすく描写すべきだと思った。また、ラストシーンでアンディ・ラウが投げようとした短剣は結局手から離れなかったにもかかわらず、チャンは自分の胸から短剣を引き抜いて金城を守るために投げつけてしまうのだが、これが単なる偶然の皮肉のように見えてしまい、この映画の主題である「たとえ愛する人がいても、運命的な出会いがあれば、新たな恋人に気持ちが動いてしまう。それが異常な状況下であればあるほど、その運命的な出会いから人は逃れられない」というものの象徴に見えない点である。しかし、多少の難点があろうとも、チャンの魅力に酔いしれるだけで、十分映画を観た価値はあったと思う。

8月31日(火)「気まぐれの虫は西の方へ・・・の風さん」
 昨日はいよいよ執筆復活するのだと、会社から帰宅して夕食後、しばらく仮眠してから書斎へ入った。そして、久々に物語作りをやって、ちょっと休憩と思ってリビングに行ったら、ワイフが「ホテリアー」を観ていた。韓国ドラマで狙いは当然ヨン様だった。「どれどれ」と思いつつソファに座ったが最後、私もはまってしまった。
 超一流ホテルを舞台にしたビジネスドラマなのだが、しっかり込み入った恋愛ドラマが挿入されている。ビジネスはきわめて冷厳な展開。しかし、その合間に情緒たっぷりなラブストーリーが挿入されている。「冬のソナタ」を観ている時にも思ったが、韓国のドラマには現代の日本に忘れられているものがある。この「ホテリアー」で特に感じたのはオーソドックスなドラマ作りだろう。
 日本は豊かになった。物質的に豊かになると同時に、精神的に失われていったものがあった。それを韓国ドラマを観ながらあらためて思う。ドラマの中の登場人物の、実に礼儀正しく、また感情的にも素直で好感のもてることか! 私の作品にもぜひ反映させたい。
 ・・・と、今夜も、仮眠後、書斎へ入った。途中でリビングに降りて・・・はなかったが、ちょっとインターネットでチャン・ツイィーを検索・・・と思ったのが運の尽き、またまたはまってしまったぞい。どうも風さんは、韓国、中国へ気まぐれの虫が向かっているようだ。

04年9月はここ

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